二十九→三十

題名は先日7月10日に誕生日を迎えた櫻坂48の森田ひかるさんのブログのタイトル「19→20」と、クリープハイプの楽曲「二十九、三十」の題名を参考にさせていただきました。

 

明日7月18日で自分は30歳になります。楽しいことも、辛いこともたくさんあった20代を越えて、30代に今なろうとしています。今回は、自分のことを書く日記です。よろしくお願いします。

 

まず前提として、以下は29歳11ヶ月時点での自分の考えなので、5年後10年後にはまた別の考え方に変わっている可能性があります。また、自分のことって分かってるようで分からなかったり、自分のことだからこそ矛盾が生じるものだと思います。なので、文章を読んでいてよく分からなかったり、矛盾している箇所があるかと思います。よろしくお願いします。

 

では、本文に入ります。

 

自分の人生で一番大切なものってなんだろう

人生において大事なものはたくさんあります。「命」「お金」「住居」「仕事」などの視覚化できるものあれば「家族」「恋人」「自分自身」などの人間関係を指す場合もあり、「プライド」「権力」「自由」など、目に見えないものを指す場合もあります。

その中で「一番」大切なものは何なのか。

「家族」が一番大事だという人もいれば「お金」が一番大事という人もいます。ですが「家族」が一番大事だという人も「お金」も生きていくうえで大事であることは分かっているのではないでしょうか。逆に「お金」が一番大事だという人も「家族」の大事さも知っています。

つまり私たちは「家族」も「お金」も「そのほか」もどちらも大切と分かっているけど、一番はそれぞれ違うのです。

 

前置きが長くなってしまいすみません。

 

自分が一番大事にしているものは「成長」だと思っています。

 

自分のことを書きます。

自分は自尊感情というものがあまりありません。自尊感情とは自分を尊敬する、つまり自分を価値のあるものと認識する感情ですが、昔からあまりありません。

例えば小中学校の委員会の話しをすると。

委員会って人気のあるないで分かれやすくなっていると思います。僕の小学校では保険委員、中学校では音楽委員が不人気でした。保険委員は毎日朝の会で前に立って「○○さん」「○○さん」の点呼をしなければなりませんでした。また、音楽委員もまた毎日朝の会で前に立って指揮を振って校歌や合唱曲を歌う進行役をしなければならず、他の委員会よりも人前に出る頻度が多く、それが人気の無い要因だろうと大人になった今は思います。

僕は基本的に余り物でいいやタイプだったというか、誰もやらないなら自分がやってもいいかなタイプでした。かといって縮こまるタイプでもなく、授業中もある程度手を上げてしまえるくらいの度胸はあったので、委員会決めの時も場の空気を読んで、「じゃあ僕やります」って手を挙げることをしていました。まあ、ドラマみたいに天井を突き刺すようなピンとした手の挙げ方ではなく、ひじも曲がった手の挙げ方でしたけど。

学校の掃除だってそうです。トイレ掃除で全然いいし、教室の掃除のときも「俺は床の雑巾やるから、箒使っていいよ」って箒よりも雑巾のほうが好きでした。好きっていうかそっちでいいかなって感覚でしょうか。

学校以外のエピソードでは、僕はあまり自分の服を自分で選ばない生き方をしていました。母が全て買ってきてたんですね。自分はそれをただなんとなく着ているだけでした。一応断っておくと、母にもたぶん子ども自身に選ばせてるつもりはあったんだろうと思います。洋服店に僕と弟を連れて行ったこともありました。でも子どもの立場からしてみると母親と一緒に洋服選びにきているところを周りの見ず知らずの人たちに見られるのが嫌で、早く帰りたい気持ちのほうが強かったのだと思います。結果、母が中心となって洋服を選び、僕たちは自分で服を選んでいる認識は薄いまま、歳を重ねることになりました。僕が大学生になってからも仕送りのダンボールの中に聞いたことのないブランドの服が入っていることは続きました。

今だってその傾向はあります。ご飯とかも昨日の残り物でいいやって思うタイプだし、自分が食べたいものよりも冷蔵庫の中を開けて、賞味期限が近い食べ物や多く買いすぎてしまった食材を使って料理をして食べるタイプです。

こういったところが、自分が自尊心の低いと思っている理由です。

 

ですが一応、自分で行きたい高校とか、自分はリハビリの仕事をしているのですが、そういったところは自分で決めてきたつもりです。少なくともリハビリの仕事に関しては親の誘導とかは無いです。ですが、「他の人があまりやらなそうな仕事」で選んだこともまた、事実だと思います。

 

自尊心が低く、「余りものでいいや」タイプの自分でしたが、勉強も嫌いでは無かったため、大学で留年することも無く、リハビリの国家試験も大丈夫でした。勤め先も決まりました。まあ、上司と合わなくて24歳の時に職場を変えたのですが、なんとかやっていました。

 

そこで転機がありました。といっても恋愛話なのでこんなこと書いて面白いのかなとも思うのですが。

 

2つ年上の方を好きになりました。

 

どうして好きなのかを書きます。当時、自分は仕事の技術もまだ未熟で、怒られる事も多く、メンタルも落ちていました。仕事から帰ってからもご飯を食べて寝るだけ、休日も体を動かす気力も無く、体重は増え続けました。そのうち、蕁麻疹になりました。初めは風呂上りなどの短い時間だけのもので、隠しながら働いていましたが、そのうちどんどんと昼間仕事中にも出るようになり、隠しきれなくなりました。自分は辛くても「大丈夫」と言ってしまうタイプで、蕁麻疹のことも隠しておきたくてよりストレスを抱えてしまい、負のスパイラルみたいでした。そんなこんなで、職場を変えました。

 

職場を変えた先で出会った女性がその方です。といっても一目ぼれとかではなく、当時メンタルが落ち込んでた自分は誰かに一目ぼれするほどの余裕は無かったです。仕事をしていきながらいつの間にか好きになっていました。

好きになったきっかけとか瞬間は特定が難しいのですが、例えば、その人は年上で、綺麗で、よく笑い、明るく、仕事もできて、プライベートでは趣味のサークルに入っていたりなど、つまり僕の場合は「自分に無いもの」を持っているところに惹かれるパターンだったのだと思います。僕は当時、メガネで太っていて、仕事もうまくいかず休みの日は家から一歩も出ない自分だったので、自分に無いものをまぶしく思ったのだと思います。

 

ええと、ここまで書くとその方を好きになったことが転機だと思われるかと思いますがごめんなさい。転機はその後です。

 

好きになって1年後、一緒に遊びに行くことができました。その日立ち寄った喫茶店でその方は、私のどこが好きなの。私は自分のことあんまり好きじゃないし。と話しました。

その言葉が今でも頭に残っています。別にドラマみたく、雷に打たれたような衝撃があったわけでもないです。ただなんとなく、家に帰って布団に入ってからも「あの時なんであんなことをあの人は言ったのだろう」と考えてしまいました。

今になって思うと、あの時自分は「何でも持っているように見えていたその人でもその人なりの悩みがあって、自己嫌悪と戦っている」ことを理解していなかったのだと思います。別の視点からいうのならば、劣等感が強い僕は、綺麗で憧れの女性を自分のものにすることで、劣等感から逃れたかっただけなのだと思います。

 

たぶんそれからでしょうか、自分は少しずつ、自分はどういう性格で、どんな欠点があって、何に自信が無いのかを考えたり、周りの方のことも見るようになっていきました。

 

その方とは結局結ばれませんでしたが、30歳になろうとしている今でもとても大切に思っています。さすがに6年も片思いしてると、その人が幸せならそれでいいと思えるようになっちゃいますね。

 

ごめんなさい。話しを戻します。

自分が言いたいことは「劣等感」と「成長」はつながっているものだということです。

僕が好きになった方は自己嫌悪を持ちながらも、明るく、優しい方です。仕事以外でも好きな音楽グループのライブに行ったり、旅行したり、ジムで体を鍛えたりしていました。その方がどんな内面を持っていたのかは最後まで聞けなかったけれど、自己嫌悪がありながらもいろんなことに挑戦する様は心の底から尊敬できるものでした。

その方を好きになってから、僕も自分が持つ自尊心の無さと少しずつ向き合うことが出来るようになりました。自分ひとりでいろんなところに外出するようになりました。好きなバンドのライブに行ったり、音楽フェスにいくようになりました。ひとりで夜行バスに乗って旅行に行ったり、舞台を見に行ったりできるようになりました。音楽もたくさん聴いて、新しいバンドをたくさん覚えました。自分が何を好きなのか、なんで好きなのか考えるようになりました。ついでに体重もそこそこ落ち、コンタクトにして、ファッション誌を読んで、自分が好きな服の勉強もしました。

僕は今でも「自分はたいした人間じゃない」と思っています。でもそれと同時に「好きな人に恥じない自分でいたい」「変わっていたい」「向上していたい」と思えるようになりました。劣等感をバネにするってそういうことではないかと思います。

 

この「成長していたい」という気持ちをこれからも大切にしていきたいです。

 

30代になるにあたって

「30越えたら人は変わらない」

誰かが言っていました。

僕がこれからなろうとしているのはその年齢です。

20代の頃は、周りの方もその人のことを変えてくれようと叱ったり、怒ったり、アドバイスしたりしてくれます。

でも、30を越えると「もういい年齢なんだし、自分のことは自分でやってね」といわんばかりに周りからのアドバイスが減るのだと思います。

10代20代の子でも、その本人に変わる気が無いと、どれだけ叱ってもなかなか変えることは難しいです。なおさら30、40、50代の変わる気の無い人は大変だと思います。

 

僕は「成長」ってそこらへんに転がってるもんだと思います。

新しい音楽聴くのも成長だし、同じ曲を何度もリピートして、口ずさめるようになるのも成長。ゲームで今まで倒したことの無いボスを倒すのも成長、ゲームの実績とかアチーブメントをとるのも成長。新しい場所に外出して景色を見て感動するのも成長。今まで行ったことのある場所に再度行ってみて、今と昔に思いをはせるのも成長。

もちろん、仕事で実績を残したり、結婚したり、目に見える大きな成果も大事だと思いますよ。でも、必ずしも全ての人が報われるわけではないから、だからこそ「成長のハードル」は高いものと低いものの2足のわらじを持つことが大事だと思います。

 

自分の大きな目標は「大切な人に良い影響を与えられる大人になる」

自分の小さな目標は「毎日ちょっとずつ成長する」

です。

 

30代もがんばります

 

明日は7月18日で僕の30歳の誕生日です。

7月18日は2年前に京都アニメーション火災、1年前は三浦春馬さんが自殺で亡くなっており、2年続けて厄日になっています。でも、悪いこともずっとは続かないことを信じて頑張りたいです。

 

大変なご時世ですが、みんなが平和に暮らせますように