北村薫 空飛ぶ馬 赤頭巾 感想 ネタバレあり

※以下ネタバレあり

 

早速ですが、前回の「胡桃の中の鳥」の記事のなかで、僕はあれこれと考察していましたが、ものの見事に外れてしまいました。お母さんは崖下に飛び込むことなく、子どもと再会できたそうです。ドンマイ、自分(笑)。

 

では、今回は胡桃の中の鳥の次のお話「赤頭巾」です。

 

要点まとめ

主人公には小さい頃にたまたま出会った近所の綺麗なお姉さんがいて、ひそかに憧れの存在だった。ある日主人公が歯医者に行くと、「ほくろさん」という中年女性と出会う。その方は主人公の憧れのお姉さんと同級生で中学、高校、そしてお互いが子どもを持つようになった今でも関わりがあるという。憧れのお姉さんは「夕美子さん」という。夕美子さんは結婚して一度は故郷であるこの町を離れたが、やがて離婚し、現在はこの町に戻ってきており、子どもと二人で暮らしている。前夫からの養育費のほか、自身は会社員をしたり、絵本を出版して生計をたてているらしい。ほくろさんはいわゆる話し好きで、ぐいぐいくるタイプの中年女性である。ほくろさんがある日、子どもも祖父に預け、旦那も仕事で帰りが遅い日だったため、夕美子さんの家にアポなしでお邪魔し、雑談などしていた。すると夕美子さんの家の電話がなり、夕美子さんが電話をとる。「はい、いらしてますよ」ほくろさんの旦那さんからの電話だった。夕美子さんは独り言のように「赤頭巾は今日は無理そう。」「最近日曜日ごとに赤頭巾がでる」と続ける。ほくろさんが赤頭巾のことを夕美子さんに尋ねると、日曜日の9時ごろに赤いものを身につけた女の子が夕美子さんの家の前の公園に現れるらしい。ほくろさんがその時間に公園をみてみると赤いレインコートを着た女の子が立っていた。その話しを聞いた主人公は後日、円紫さんになぜその女の子は何者なのか問う。円紫さんの推理は、夕美子さんとほくろさんの旦那さんは不倫関係にあり、日曜日の夜に会っているのではないか。旦那さんはほくろさんに電話をかけたのではなく、夕美子さんに電話をかけた。夕美子さんはごまかすために赤頭巾の話をとっさに出し、自分の子どもに赤いレインコートを着せ、公園に送り出した。

 

感想

空飛ぶ馬は1989年出版であり、当時は携帯電話も普及していなかった。だからこその話しだと思う。他にも現代では聞きなれないことばがある。なかでも僕が印象的だったのは「午前様」だ。

午前様の意味は

午前様とは、深夜を過ぎて(つまり翌日の午前中に)帰宅する人をいう。

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ほくろさんの旦那は日曜日も仕事の人で、しかも日曜日は午前様だという。そこから今回の話の推理にも結びついているため、重要なワードだと思う。小説を読む上で、面倒でも大事なワードは調べないといけないこともある。でも、やっぱり面倒くさい(笑)

 

本題の今回の話に対する自分の感想は

気持ちわるい話しなのに、どこか納得してしまうような、気持ち悪いのに理屈は通っているような話しだなーって思う。

この話しで印象的なセリフは小説版273ページ「知で情を抑えることはできるのに、その逆は出来ないのです。」の部分だろう。逆、ということはこの文を‘逆‘にしてみると

 

「情で知を抑えることはできない」

となる。この解釈が難しい。理屈がちな人は、理屈がないと前に進めない、ということだろうか。

夕美子さんも、ほくろさんの旦那さんもものすごく「理屈」っぽい人なんだと思う。だからこそ、夕美子さんの描いた「赤頭巾」は怖いくらいに狼に向かっていく。夕美子さんの赤頭巾は狼を手玉に取ったようだ。

 

主人公は不倫関係にあるこの2人を「美しくない」といった。

円紫さんは2人のことに対してはなにも言ってはいないが、夕美子さんの「赤頭巾」にたいして「ここまで挑発するのなら赤頭巾は食べられても仕方が無い」といった(文庫274ページ)

夕美子さんは自身を、あるいは自身の娘を赤頭巾に投影している。ほくろさんの旦那さんは深い緑のネクタイをしていた。これは赤頭巾をより目立たせる深い森を表しているのだろう。

 

自分も主人公や円紫さんと同じ感想を抱いた。この2人は美しくない。不倫がダメとかそういうレベルではない気がする。心の奥底で人を下に見ていそうなところとか、すべてを理屈でつなげてしまうようなところとかだろうか。とにかくなにかが嫌で嫌でしょうがない。「じゃあどんな関係が美しいのか」と聞かれてもわからないし、美しさを探しているわけでもないけれど、ただ自分の中で「こうなりたくない」と思っているのだと思う。それはきっと主人公も同じで「こうなりたくない」と直感的に思うから、最後の旦那さんのことを恐れ、緑のネクタイが印象的に書かれているのではないだろうか。

 

恋愛は難しいことだらけだけれど、夕美子さんとほくろさんの旦那さんの恋愛はきっと寂しいと思う。円紫さんのいうように寂しいことを意識すると余計寂しくなると思う(文庫281ページ)。たしかにこの2人は理屈で考えるタイプだし、寂しさに負けてしまうことは無いと思う。でも、それでも、この2人は寂しさを感じずにいられない日があるのではないだろうか。

 

恋愛はきっと寂しさをなくすためにするものではないのだと思う。寂しさをなくすために恋愛したとしても、きっといつか、寂しさを意識せざるを得ない日がきてしまう気がする。

 

先日たまたま目に留まったネットの記事に「結婚を決めた要因」があった。その記事によると結婚の決め手は「相手とずっと一緒にいたいと思ったから」だそうだ。

 

「ひとりでは寂しいから結婚する」と「ずっと一緒にいたいから結婚する」

両者は似ている表現だが、きっと目的が違うのだ。

前者は「寂しさからの脱却」

後者は「

・・・・・なんだろう思いつかない。

 

自分自身への宿題にします。

 

北村薫「赤頭巾」はとてもとてもおもしろく、僕につきささるお話しでした。