生きるということ

今年(2022年)の3月22日、暖かくなってきたはずなのにその日は急に寒くて、テレビやSNSで今日は○時~○時まで節電をよろしくお願いします!みたいな日がありました。ロシア-ウクライナ戦争もあって原油の輸入が滞っていたりしたのかもしれません。

 

自分はその日たまたまお休みで、その日は座椅子に座って、ベッドに寝そべり軽く毛布をかぶりながら小説読んだりしていました。ですがなんとなくツイッターとか気になってしまい、携帯で見てしまいました。

 

SNSはやはり節電に対しての意見はさまざまで、「○○して節電しています」「今日は早く退勤します」など前向きなものもあれば、「NHKや民放のテレビ局が放送をやめればいい」「あの店が営業しなければいい」などの意見もありました。

 

別に節電なんて出来る人がやればいいと思うし、節電していない人を責める気はまったくないのだけれど、でもそうやってTV局とか町のお店の人たちを中傷しているような気がして、それが嫌でした。ついつい僕も次の日ツイッターで「自分を善人だと思っている人ばかりで嫌になる」みたいなツイートをしてしまいました。

 

でも、あれは間違いだったな、そもそも「自分を善人だと思っている人ばかりで嫌」というツイートだけでは読み手に意図を伝えるには文章が短すぎる。それに「善人」ということばを悪者にしたような言い方になってしまった。善人であることはいいことだし、人は自分を善人だと思ったり、善人を目指しているからこそ行動できると思う。

 

「他人を俳諧中傷している人が嫌い」って書くべきでした。ごめんなさい。

 

という懺悔で始まりました。2022年7月18日は僕の31歳の誕生日です。

前回ブログを書いてから早一年経ってしまいました。

せめて1年に1度の誕生日くらいはブログを書こうと思います。何年何十年後に「このときの自分はこんなことを考えていたのだな」と見返す手助けにできたらと思います。

 

今回のブログテーマは「生きるということ」にしました。谷川俊太郎の有名な詩から参考にしています。

 

つい先日2022年7月8日、安部晋三が亡くなりました。詳細は書かずとも有名だと思います。人間死ぬときはあっという間で、突然でした。

その前日には遊戯王の作者の高橋和希が死に、少し前には上島竜平も亡くなっています。過去にも書きましたが僕の誕生日は事故や自殺とも関わりが深い日なので、人が死んでしまうのはやっぱり嫌な気持ちですね。安部元総理の死も、やはり自分の誕生月にそのような事件があると嫌な気持ちになってしまいます。

 

人が死ぬこと、あるいは人が死んだことを知ることに前触れが無いこともありますよね。

 

僕が今まで出会った中で、強く尊敬している方が3人いて、その中の一人が高校時代の男の同級生でした。名前の頭文字からここではKとします。Kとは高校2年から同クラスになり知り合いました。Kは背も180くらいの身長で、顔も声もかっこよくて(GACKTっぽい感じ)でした。高校から離れた町に住んでいるらしく帰宅部でしたが、スポーツも上手でした。見た目もいいからクラスのイケメン数人と談笑していたりしました。彼女もいて、学年でも1・2の綺麗で名のある女性とつきあっていました。

 

ここまで書いているとKはただ単なるパーフェクト人間みたいですが、Kの凄さは人とつるむときとつるまないときのバランスでした。昼休みとかは談笑しているけど、朝や帰りなんかはひとりで帰っていることも多かったし、休み時間も眠いときはでかい体を丸めて机で寝ていて、なんていうか寄せ付けないオーラがありました。

他のエピソードでは、テスト期間に僕が放課後、図書室でわりと遅くまで勉強していて、帰りに教室のロッカーに寄ろうと教室に入ったら、Kとその彼女さんがひとりは窓際、一人は廊下側で、それぞれ間逆の位置で、黙って勉強していました。Kの彼女さんは別クラスなので、2人はおそらく一緒の場で勉強していたと思うのですが、わざと一定の距離を保ち、教室の端と端に座って勉強していたのだと思います。

Kは友達や彼女がいても、一人の様子も多く、なんていうか他人に依存していないように見えました。

 

僕はクラスの大人しめ男子のグループで、Kはイケメングループ(イケメン3人でよくつるんでた印象)でしたが、僕とKの仲は良かったと思います。なんていうか、Kによくいじられていました。例えば授業で資料プリントが配られたときに「○○(僕の名前)プリントちょっと貸してくれ!」って言われて貸して、プリントが戻ってくるとプリントに書かれた人物にめちゃめちゃいたずら書きされていて、「なんだよこれww」って僕がつっこみいれて笑わされたりとかしていました。

 

なんで僕みたいなのにちょっかい出してくるのか不思議でしたが、昔Kが言っていたことがあります。

 

高校2年生の新しいクラスの初日、みんなで自己紹介の時間がありました。出席番号が若い順なので、苗字が「あ」の人から順番に、教台に立って、黒板に名前を書いて自己紹介していきました。すると、みんな名前を黒板の周りから埋めていっていき、真ん中が埋まらないまま、出席番号中盤の僕のところまでやってきました。僕は黒板の真ん中に他の誰よりも大きな字で名前を書きました。たぶん僕は、誰も埋めたがらない場所だからこそ、自分で埋めてしまおうと考えたんだと思います。僕の自己紹介はたぶん普通だったと思います。「○○です。○○町に住んでいます。部活は合唱部です」みたいな感じかな。あ、合唱部はガチです。昔から歌うのが好きでした。

 

それを見たKは僕のことを面白いやつだと思ったそうです。「最初の日の自己紹介で、黒板の真ん中にでかい字で名前書いていて、面白いやつだって思ったわ」そう何かで言ってたのを覚えています。

 

Kとは高校3年生のときも一緒のクラスになり、別にメアドも交換しなかったし、放課後も休日も遊んだりは一切無かったけれど、適度な距離感で、基本別グループだけど時々話すみたいな仲でした。3年秋の終わりごろになると受験も近づき、Kは出席日数を落とさない程度に遅刻したり、2限が終わった頃にきたりしていました。センター試験が近くなるとウチの学校はよっぽど出席やテストの成績が悪くない限り学校来ないで自宅でもokスタンスだったので、受験シーズンはあまり話さなくなりました。でも最終的にKは関東内の国立大学に受かったと聞きました。学校サボってても勉強してるとこではしてるタイプなのかなと思います。

 

卒業式の日、最後のKとのやりとりも覚えています。卒業式も無事に終わり、僕は部活の送別会もあったので部活の友達と階段を上がっていました。そこで階段を下りてくるKと目が合いました。Kは卒業式の後でもいつもと変わらず、ひとりで帰ろうとしているように見えます。Kの整った顔立ちで大きな目と僕の目が合います。

 

「じゃあな」Kが言います

「ああ」僕が答えます

 

Kはそのまま降りてゆき、僕は友達と部活の送迎会に向かいました。

 

短いやりとりだったけどKと僕らしいやりとりだったと思います。

 

社会人になってしばらくなので25くらいの時、駅で同じクラスの友達とたまたまめぐり合いました。友達が言いました。「そういえばKって覚えてる? K、自殺したって聞いたんだけど、知ってる?」「そうなの?いや、知らなかった」僕は答えました。

 

僕はKのメアドも知らないし、実家のある市町村は知ってるけれど住所までは知らないので確かめようがありません。Kはもしかしたら本当にその噂どおりにもうこの世にはいないのかも。でも、ひょっとしたら噂はただの噂で、生きてるのかもしれません。

 

どんなに尊敬したり、憧れている人でも、自分の生活領域から離れてしまえば、その人が生きているのか、死んでいるのかは分からなくなってしまいます。

他人の心は読めません。僕から見てKは精神的に自立しているように見えましたが、本当は悩みもあって、それが大学生活や社会人生活の中で表面化したのかもしれません。

 

生きるよりも辛いことってあると思います。人は何かに悩み、落ち込んで、それは生きていきたくなくなっちゃうくらいしんどくて。

 

どうして僕たちは、友達と定期的に連絡を取り合うのでしょう?どうして好きな人と結婚しようとするの?

 

それは「その人が大切で、その人が死んでしまっていないか確認していたい」そういう気持ちがあるから友達や恋人、伴侶であろうとするのではないかと思います。その人が生きてゆけるように「今の自分にできることをする」ことが大切に思うことにつながっていると思います。

 

谷川俊太郎は詩「生きる」のなかで「生きているということ」という文を多く使用しています。僕は「生きている」だと今、生きていない死者になんとなく申し訳が無い気がして、改変して「生きるということ」と言ってしまいます。

 

詩「生きる」の中の

 

すべての美しいものに出会うということ

 

という文章がすごく好きです。

 

大切な方たちが今日も生きていることを願い、僕自身はこれからも美しいものに出会えるように、強く、優しく、生きたいな。